猫問題と猫妖怪の存亡の危機
境港妖怪検定(3)
妖怪は人が立ち入ることの少ない自然や夜の暗闇の中に潜む。しかし近年の開発でそれらは減り、同時に妖怪文化までもが衰退しつつある。そして今まさに存亡の危機を迎えているのが「猫妖怪」である。
少し前まで猫は外を自由に歩き回るものだと考えられていた。しかし近頃は猫ブームの影で「外の猫」が増え、糞尿問題や騒音問題など俗に言う「猫問題」が急増したことで、外の猫が嫌われる傾向にあるようだ。
猫のフンは人畜共通感染症を媒介する。また、猫は「世界の侵略的外来種ワースト百」に選出されており、地域の生態系に悪影響を及ぼすという。これらの問題を解消するため、近頃は保護譲渡や不妊去勢手術によって外の猫を減らす活動が行われている。将来的に外の猫をゼロにすることを目標に掲げている団体も少なくない。
だが、日本人は自由気ままな外の猫に神秘性を感じてきた。猫の妖力の源泉は外の世界にこそある。妖怪文化を守るため、この流れは決して看過できない。
猫神は養蚕の守護神として崇められた。これは鼠による蚕の食害を防ぐため、養蚕農家が猫を飼養したことに始まる、猫の益獣としての側面が神格化されたものである。
一方、同じ猫神でも徳島県の「お松大権現」には、飼い猫が妖怪変化となって主人の仇を討ったという伝説がある。こちらは養蚕守護の猫神とは対象的に猫の妖力が神格化されたものであり、その正体は猫又だと考えられる。猫又といえば、人に飼われている猫が年老いて化けたものとして知られているが、その文献上の初出は、山中で人を喰らう魔獣・猫股(ねこまた)である。
猫の飼養が一般化された後も、山中の猫はマガリ、トリスケなどの山言葉で呼ばれて忌まれたという。その背景には、山や森などの自然を神の住む場所、人の霊魂の還る場所と捉えた日本古来の思想がある。
山や森などの「異界」と人々の暮らす「里」、さらに人の生活の最小単位である「家」を自由に往来できる猫は、極めて霊性の高い動物だと言える。そのような猫から外の世界を奪う行為は、猫から霊性を奪うことに等しい。これは猫妖怪の存亡の危機であり、妖怪文化の衰退に直結する真に憂慮すべき事態である。
しかしながら、外の猫を取り巻く環境は厳しい。交通事故、虐待、感染症のリスクも高く、たとえ行政に保護されたとしても殺処分される可能性すらある。ここは猫の幸せを第一に考え、外の猫を減らしていく活動に賛同したい。猫妖怪の衰退は、妖怪文化を巡る歴史の一つとして、後世に伝えていくことが重要である。
一言コメント(1)
米田むー飼養衛生管理基準の改正により、2020年10月1日から牛舎など衛生管理区域内での猫の飼養が禁止される。今でも害獣駆除を目的に猫を飼養している牛舎もあるようだが、どうするのだろうか。養蚕の守護神である猫神は、猫の益獣としての側面が神格化されたものである。またひとつ猫の霊力が失われていく。